スタンプラリーの歴史や文化、参加実態についての調査データなどスタンプラリーに関する情報を集め、発信していく場です。
スタンプラリーの楽しさをお伝えするための情報を随時発信していきます。
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設置個所は5箇所よりも、15箇所のほうが平均立ち寄り店舗が約1.3倍に
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スタンプラリーに参加している人は、滞在時間が約1.4倍に
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年代問わずスタンプラリーへの満足度は9割以上、特に10代がポジティブな反応を
以前実施した調査の詳しい結果はこちらから
観光地や商店街、鉄道の駅などで一定のテーマに沿ってスタンプを押して集める「スタンプラリー」は、子どもから高齢者まで楽しめるイベントとして、全国で親しまれています。
スタンプラリーは自分の足で巡り、自分の手でスタンプを押す、その過程で人と人が出会うというリアルなコミュニケーションツールです。
近年、ネット上でのバーチャルなコミュニケーションの普及に伴い、人々が直に触れ合うコミュニケーションが希薄化している傾向にあります。しかし、2011年に発生した東日本大震災では送電が停止し、輸送網も寸断され、日常から顔の見える距離で人と人とが関わり合うことの必要性が再認識されました。
そこで、シヤチハタは「8月8日スタンプラリーの日」を設立し、これを契機にスタンプラリーの楽しさはもちろん、スタンプラリーを通じたコミュニケーションを広く多くの人々に訴求し、 地域活性化や心あたたまる思い出作りにも貢献していきます。
なお、《8》という数字は、スタンプラリーの主旨である「巡る」、ラリーの旋回を連想させます。また、末広がりの8は東洋では縁起のよい数字とされています。 この8が二つ並んだ8月8日はまさにスタンプラリーにもっともふさわしい日と考えております。
スタンプラリーの成立は1970年代と考えられますが、その原点は室町時代の霊場巡拝にまでさかのぼります。
四国88箇所霊場巡拝や西国33所霊場巡拝など、社寺へと巡回し写経を奉納した証として、寺院側で発行したのが「御朱印」や「納経印」であり、『納経帳』にまとめて保持しています。 こうした行為に、スタンプラリーの原点を見いだすことができます。
江戸時代には四国遍路は大衆に浸透し、江戸では「七福神巡り」なども始まりました。
明治になると、「鉄道」と「郵便制度」が導入され、その拡大に伴い必要となったのが、各搬送拠点の流通を証明する「消印」でした。やがて、その印影を収集して楽しむ“スタンプ収集家”が誕生しました。この時期、1925年(大正14年)に創業し、「万年スタンプ台」を開発したのが「舟橋商会」(現シヤチハタの前身)です。
戦後の高度成長期を迎えた1970年(昭和45年)に大阪万博が開催されました。 各パビリオンには独自のスタンプが設置され、それを専用スタンプ帳に集めて回る 「スタンプコレクション」が実施され、絶大な人気を博し、シヤチハタも大きく貢献しました。
1971年には国鉄による「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」がスタートしました。 これは全国主要駅にその土地の名所旧跡を折り込んだオリジナルスタンプを設置し、 旅行者はそのスタンプを収集して楽しみました。また公式スタンプ帳も販売されました。
ラリーとは、もともと指定されたコースを一定の条件のもとで長時間走る自動車の長距離競技を意味しますが、 「スタンプラリー」という言葉で、現在の形式が成立するのは、 自動車の世界ラリー選手権初開催の1973年(昭和48年)、 スーパーカーブームの1974~1978年ごろからと考えられます。
実際にスタンプラリーの言葉が新聞記事に登場するのは、 1983年(昭和58年)1月10日の日経流通新聞で、 栃木県芳賀町の6商店で前年の12月に、小3~中3を対象にMAP付きチラシを配布し、店頭でスタンプを押したスタンプラリーが人気を博したと紹介されています。
1985年(昭和60年)には、つくば科学万博にて、 講談社、でんでんINS、三菱、IBM、鉄鋼館の5館を回ってスタンプを集めたら、全館そろいのバッジがもらえる「スタンプラリー」が実施され、 老若男女問わず多くの人々が参加しました。
「あなたはどのような場面でスタンプラリーをしたくなりますか。あてはまるものをお答えください。」「スタンプラリーに参加しようとしたきっかけは何ですか。」など、シヤチハタでは過去2回にわたり全国でスタンプラリーに関する動態調査を行いました。スタンプラリーの企画などの参考にぜひご覧ください。
以前実施した調査の詳しい結果はこちらから